元映画製作室長 小川さんのお話

 

映画製作室長として生きた日々、そして、最愛の妻との日々。

 
元ワーナー・ブラザース映画 制作室長として活躍されてきた小川さん。現在は、定年を迎え穏やかな日々を過ごされていらっしゃします。しかし、現在に至るまで、私生活では、病気の奥様を支えてこられた苦労の忍耐の時間を過ごされました。そんな、小川さんの詩をご紹介します。


経歴:

小川政弘 おがわまさひろ
・元ワーナー・ブラザース映画 製作室長
外国映画の字幕版監修、翻訳、吹替版プロデュースをしていました。
・日本国際ギデオン協会 東京足立支部会員
新約聖書を無料贈呈している団体です。
・インターネット福音放送伝道「この指とまれ」
インターネットで、福音ドラマ、聖書・名作朗読サイトを主宰しています。
http://www.konoyubi-drama.net/
・映像テクノアカデミア字幕翻訳講師
字幕翻訳者養成学校の短期・研修・聖書クラスで教えています。


≪詩三連≫  妻へ -その1-

 
「死ぬのも勇気が要るのよ。」
自殺少女のテレビニュースを見ていた妻が
ポソリとつぶやいた。
見ると目に涙を滲ませている。
妻は もう50年も前の
あの日の朝を思い出していた――。
16歳で結核を発病した妻は
どんどん進行する病に絶望し
家人の留守にガス栓を抜き 自殺を図ったという。
いよいよ入院、手術という朝
「死ぬなら家で死にたい!」と
柱にしがみついて泣き叫んだという。
3度の手術に耐えた妻は
病床でキリストを信じ、主に在る新しい命を与えられた。
その妻との結婚を主に迫られた時
私は必死で祈った――
「私の恵みはあなたに十分である。
私の恵みは弱いところに完全に現れる。」
示されたみ言葉に、私は全てを委ねた。
「再発したら死ぬだろう。」…私は覚悟した。
「60まで生きられたらいいの。」…妻は言った。
あの日から42年の歳月が流れ
妻は齢(よわい)70を超えた。
だが肋骨9本を取った妻の肺は
この数年、急速に機能を弱めた。
40年間続けた家庭集会をやめ
一番の楽しみだった世界旅行をあきらめ
婦人会活動ができなくなり
礼拝出席がやっとになった。
妻のか細い肩に
日課となったマッサージをしながら
私は心でそっと語りかける。
「何もできなくていい。
そばにいるだけでいいんだ。
生きていてくれるだけでいいんだよ。
君の荷は
主が負ってくださったように僕が負うから。」
主よ、今が一番幸せです。
感謝します。
 


≪詩三連≫  妻へ -その2-

 
「たとい わたしは死の影の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたが わたしと共におられるからです…。」
手術室に入って行く時
君はこのみ言葉を唱えたんだね。
体質で全身麻酔ができず
局部麻酔で肋骨を切るノコギリの音を聞きながら
君は何度も このみ言葉を口ずさんだんだね。
それは病院伝道の人たちが
教えてくださったみ言葉。
君が最初に覚えたみ言葉、詩篇23篇。
その夜
君の胸の上には
空洞が広がらないように
重い砂袋が置かれていた。
息が止まるかと思う苦しさの中で
君は十字架の主を見た。
血潮したたる両手を広げ
「大丈夫。私が負うから」と言う主のみ声を
君は はっきり聞いた。
そして主を信じたんだね。
その君の荷を
生涯 共に担おうと心に決めて
僕は君と結婚した。
1970年4月29日
主のよみがえりのイースターだった。
「主はわたしの牧者であって
わたしには乏しいことがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしは とこしえに主の宮に住むでしょう。」
あの日から
主は僕たち二人の牧者になられたんだね。
 


≪詩三連≫  妻へ -その3-

 
あれは1995年 元旦の朝だった。
君は風邪で高熱を出し、元旦礼拝を休んだ。
家には君のお母さんと君の二人だけ。
君の心に み霊がささやかれた――
「階下に降りて、あなたの母に み言葉を語りなさい。」
君は詩篇121篇を開いて母に読んであげた。
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。……」
君の心の中に
救われてからの主の恵みの一つ一つの記憶が
次から次とあふれ出てきた。
「お母さん、私は神様がいなければ生きられなかった。
イエス様を信じてからの30年
後悔したことは一度もなかったわ。」
「ああ、分かってる。みんな知っているよ。」
「その神様の愛は、お母さんにも注がれているのよ。
一緒に天国に行こう。イエス様を信じようよ。」
二人はいつしか泣いていた。
そして母は涙でクシャクシャの顔を上げて言った。
「うんうん。私もイエス様を信じるよ。」
君が救われて30年間 祈り続けてきた母だった。
働きながら女手一つで4人の子を育てた気丈な母が
喜びの洗礼を受けてからは
まるで幼子のように素直な晩年を過ごした。
家庭礼拝で毎週少しずつ覚えた詩篇23篇は
やがて認知症で介護施設に入り
子供たちの見分けがつかなくなっても
召される最期まで忘れなかった。
“あの人だけは無理”と君が言っていた一番下の弟も
君の祈りの中で救われた。
そして君は今日も、まだ信じていない兄妹2人と
甥姪たちのために祈っている。
体がいよいよ弱くなって何もできなくなっても
君は祈り続けるだろう。
「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
このみ言葉がかなえられる日を信じて――。
佳子(よしこ)、そんな君は僕の誇りだ。
君の祈りに、僕も寄り添わせてもらうよ。