titiさんお話

 

父親として、大人としての見つめる、しあわせの一時とは。

 
何気ない日常生活の何気ない事柄から、しあわせを感じることがあります。日々の暮らしの中にある、しあわせを感じながら過ごせれば、きっと毎日が楽しくなりますね。


お母さんの思い

 
ずいぶん昔の話ですが、ある、母親が私に話してくれたお話です。
「自分が生んだ子供。とにかく、大変。
おしめを交換し、ミルクを飲ませ、時々見ていないと、心配で心配で・・・。でも、それが本当にかわいくてかわいくて・・・・」
と、幼い子供について語っていた母でしたが、子供の成長にあわせてだんだん表現が変わってきます。
「最近、私の言うことを聞かなくなってきて・・・口答えをするようになってきたの。『いやだー!』とか、『イーだ!』とかいうの。もう本当にいらつくのよ」と、子供が3才になる頃には、そう語っていました。
そして、子供が5才になった頃。
「このごろ、子供から話しかけてくれるの・・・・。
『お母さん だーいすき』とか言うの・・・。
嬉しくて、嬉しくて・・・すごーっく幸せな気持ちになれるの」
と、目に涙を浮かべながら話してくれました。
この「お母さん 大好き!」のこの一言で、全ての苦労を忘れてしまうようです。
母に時々、「大好き」と言うことが、母を幸せにすることなのかもしれません。
 
(ブログ:[ほんのりあたたか]の記事に掲載したものから)


バイトの初月給の使い道

 
ある家族の出来事に、ほんのりあたたかい気分を感じたので書いてみます。
高校3年生の女の子。
自分のコンピュータが欲しくて、ついにバイトを始めました。
まあ、バイト先は、お決まりのスーパーのレジ打ちですね。
バイトが決ってからというもの、がんばる・ガンバル・頑張る・・・・
さて、初めての給料日が、来ました。
まだ、一週間しか働いていないから当然、ほんの少しの額。
何千円? 何千何百円? という金額ですね。
きっと、もらった給料で、「あれも、これも、買おーっと!」と思っていたことでしょうね。
そして、帰り道。
向かった先は、花屋さんでした。
そこで、買ったものと言えば、[大きな花束]
自分で抱きかかえると前が見えないほどの大きな花束。
(なるほど、花が欲しかった訳だな・・・・?)
帰宅後、はじめに、言った言葉は、「ハイ!お父さん。プレゼント」
なんと、花束は、父親へのプレゼントでした。この給料日。奇しくも、父親の誕生日だったのでした。
自分の初の給料を、自分の買いたい物に使わず、父親へのプレゼントへ使ったこの子。いったいどんな女性になるのでしょうね。将来が楽しみですね。どこにでもある、他愛ない、小さな出来事でした。
 
(ブログ:[ほんのりあたたか]の記事に掲載したものから)


ちょっと・・・しあわせな人

 
ずいぶん前に聞いたお話ですが、このお話を思い出すと、なぜか気持ちがよくなるので・・・・
 
結婚して、数年たっている家族。
子供さんが一人いました。この子供さんは、まだ3才になるかならないかの、かわいい男の子。大好きなものは、チョコレートとお父さん。特に、チョコレートは大好きで、チョコレートのためなら、泣くのも収まるほど。
ある日の朝、お父さんが仕事に出かける時のこと。この男の子は、お父さんが出かけてしまうのが寂しくて、泣き出してしまった。
「パパ、いかないの・・・もっと、お父さんと遊びたい・・・」とダダをこねていました。
お父さんは、
「うーん、お父さんもお仕事に行きたくないんだよ」と言って慰めました。
男の子は、
「お父さんと遊ぶーーー!」といってはしゃぎました。でも、仕事へはいかなくてはいけないお父さんは、
「ねー、お父さんがお仕事にいかないと、大好きなチョコレートが食べられなくなるよ」と言ってみました。
すると、男の子は、
「うえーん。チョコレート食べたいー!。お父さんと遊びたいー!」と激しく泣きだしました。
お父さんは、
「チョコレートが食べたいなら、お父さんはお仕事へ行かないと行けないんだよ。だから、バイバイね」と言いました。
しばらく泣きながら・・・考えたすえ、男の子が言ったのは、
「お父さんと遊ぶー! チョコレートはいらないから・・・」と言って大泣きしました。
この言葉を聞いて、お父さんは、もう何も言えなくなりました。出かけるに、出掛けられません。
お父さんになって、初めての幸せを感じたひとときだったそうです。
あー、気持ちがいい・・・。こんな毎日だと幸せだろうな・・・。
 
(ブログ:[ほんのりあたたか]の記事に掲載したものから)


すんごくいい気持ち・・・

 
「なにをやるにも気力が無くて、誰にも自慢できるものも無くて・・・」そんなことを言っていた、中学生がいました。
「成績も良くないし、かっこがいい訳でもないし、特に目立つものはないなー」それが彼の口癖です。
でも、自分の持っている特別な能力に気づいていませんでした。
彼は、クラスで一番背が高く、なんと、先生よりも大きく、学校中で一番背が高かったのです。そんな彼ですが、自分の身長のことは、どちらかと言えばコンプレックスでした。
そんなある日、先生から声をかけられました。
「おまえは背が高いから、ハードル競技に向いていそうだな」
と、陸上競技でハードルの選手がいなくて困っていた先生が言いました。
「は? でも、足は速くないですよ。おれ」と、彼は答えました。
先生としては、ハードル競技に出てくれる選手がいないことが悩みの種で、別に彼に特別な興味は無かったのですが、つい彼の身長が気になって、だめ元で声をかけたのでした。
「なにを言っているんだ、ハードル競技というのはな、誰でもできる競技じゃないんだ。ハードルとハードルの間を3歩で走りきれなければ、良いタイムはでないんだぞ」
「は? ハードルのことなんか言われても、まったくわからないし・・・」と彼。
「まあ、とりあえず、練習にでてみろ」と先生。
「うーん。別に良いですけど」と彼。
彼としては、ハードル競技そのものを知らないので、どんなものなのかを経験してみたいだけでした。
さて、次の日、ハードル競技の練習初日。
スパイクを履かされ、とりあえず、ハードルの飛び方を教えてもらった彼。適当に走ったタイムが・・・・・
「ん?」「なんだこいつ!!!大会に出ていたら優勝するじゃん」と、ただただ驚くばかりの先生。
「おまえ、今まで何やってたんだ。おまえ、ハードル競技にめちゃくちゃ向いているぞ!来月陸上大会があるから選手として出ろ! いいな! 決まりだよ。選手に・・・」と先生
「は? なんで?」と、驚いたのは、彼。
自分のタイムが速いのか、遅いのかもよくわからないまま、練習をすることになりました。そして、大会の日。
出番がやってきた。早速、予選で走ったところ、何と2位。
「やっぱ、本物は早いわ」「こっちは先月練習始めたばかりだからしょうがねーか」と、彼は、いわば投げやり状態。
しかし、周りの様子が、何となくおかしい。
なんだろうと思っていると、隣にいた他校の選手が教えてくれた。
「さっき、1位になった奴は、去年の優勝選手で、県大会でもベストを出したすごい奴だぞ」「は?」「うそ」本気で走っていない彼の中に、何かが湧いて出てきた。
「マジに走っていたら追い越せるんじゃねーの、奴ぐらいなら・・・。」
にわかに、自分の能力に気がついてしまった彼。「決勝戦では、本気で走ろうかな」とか、言い出した。いざ、決勝戦。パーン!となった、スタート音。やはりにわか選手だ。スタートで出遅れ。これはまずい。
まるでスーパーマリオのように、ピヨコン・ピョコンと縦に跳ねながらも、ものすごい勢いで追いかけだした。その後、天性と勢いだけで走りきり、なんとかゴール。
結果は、なんと2位。やはり1位は、奴だ。
「なんだ?驚いたわ。 おれは、ハードル競技に向いているんじゃん!」と彼は、自分に驚いた。「めちゃくちゃいい気分だーー!」と上機嫌。本当によかったね。がんばれ中学生!未来はこれからだ!!
どこに、可能性が転がっているのかわからないものです。
誰にでも、使われていない特別な能力が隠されているのかもしれませんね。
 
(ブログ:[ほんのりあたたか]の記事に掲載したものから)


すべてを投げ出して・・・

 
あるお医者さんのお話。その方は、医学の進歩のため全身全霊を捧げていました。自分のもてる時間のほとんどすべてを投げ出し、研究と診療に当てていました。何がそうさせたのかは、私にはわかりませんが、少なくとも人生の生き甲斐として選択したものが医療であったことは確かでしょう。その先生の、残した文章に「ソロバンで勘定しながら毎日を利益のために働かなくてよいことに感謝・・・」というような一節がありました。
一般の企業で働けば、必ずつきまとう「利益」という重い使命。決して悪いことでは無いけれど、今の時代、余りにも「利益」だけに心を奪われているように思えてなりません。この先生の言うように、せめて医療に携わる人ぐらいは、「儲かります」という言葉から縁遠い方々であってほしいものです。「奉仕するために医を選んだのか、それとも、利益を得るために医を選んだのか・・・」このように糾弾していました。全く医療とは無縁の私ですが、この、奉仕の精神は、「聖職」と言われるに相応しいと思わされました。この言葉を、後世に残してくれた先生に感謝。
私の仕事でいったい何が奉仕できるのかはわかりませんが、せめて、この世に生まれたからには、誰かの役に立ってみたいものです。
(ブログ:[ほんのりあたたか]の記事に掲載したものから)